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た-という記録が残る。た-という記録が残る。9

 左近から武兵衛に代替わりすると「上野(こうずけ)衆」の一員となり、所領も上野国(現在の群馬県)内に移ったとみられる。上野衆を主に束ねていたのは氏康の息子で4代目当主・氏政の弟、氏邦(うじくに)。今風にいえば一族経営の大企業の子会社で働く勤め人-といった立ち位置だろうか。

 運命が一変したのは天正18(1590)年、豊臣秀吉が北条氏を攻めた「小田原合戦」。武兵衛も北条氏に付き従い小田原へ参集、戦ったとみられ、戦死することなく生き残ったが、北条氏は滅亡した。主を失った武兵衛が次に仕えたのは、関東の名門・結城氏の養子となって下総(しもうさ)国(現在の千葉県北部から茨城、埼玉、東京の一部)に入った結城秀康だった。

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